10: のん 2008/04/09(水) 20:30:41 ID:SkVL7fe2
これは私の実話です。
ママは中国人です。
日本人である父親と結婚するために、
国の家族と離れた日本でがんばッて暮らすことにしたそうでした。

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/healing/1207538844/
10: のん 2008/04/09(水) 20:30:41 ID:SkVL7fe2
父親は結婚して、ママに日本語を懸命に教えました。
それでママも日本語が上手になッたようでした。
そんな中、うちのお姉ちゃんが日本で生まれました。
そして、中国に帰国した時、私が生まれました。
でもね、うちが物心ついた頃には…
ママは毎日、ことあるごとに父親に殴られるようになってしまってた。
そして、あからさまに、父は不倫を続けてた。
父の暴力はウチ等に向けられることも度々あった。
でも、そのたびにママがかばってくれて、ウチ等の替わりに殴られてた。
ウチ等はいっつも、そんなママの腕の中で、ただただ泣いてることしかできんかった。
お母さんは一回だって、泣いたことがなかった。
いつも笑顔で、「大丈夫」としか言ってくれんかった。
その頃のうちは小学校低学年。
だから、ママがいくら殴られても、お父さんの恐怖は感じれるのに、
笑顔で大丈夫ってゆうお母さんの辛さを、全く気付いてあげれんかった。
本当に辛くないもんだと思ってしまってた。
どんなに辛くてもママが離婚せんかったのは、
多分極度の負けず嫌いだったからだと思う。
絶対大丈夫だって大見得切って、
猛反対された日本人との結婚を成功させて…
それなのに離婚しちゃったら、中国に置いて来た家族に顔向けできないじゃんね?
そんなちょっとしたプライドのために…
あんなに傷付かんでも、良いじゃんね。
うちには絶対真似できん。
お母さんが口うるさく怒るのは、
ウチ等に立派な大人になって欲しいから。
そんなこと、小学校低学年なウチには全く理解できとらんかった。
どんなにママがウチ等を愛してくれとったんか、
全く理解できとらんかった。
じゃけぇ度々、ママなんか大ッ嫌ぃッてゆっとったし、
ママなんか死んじゃえッて、めっちゃ言いまくっとった。

11: のん 2008/04/09(水) 20:32:28 ID:SkVL7fe2
・続き・
ウチが小学校3年生の頃、
お姉ちゃんは小学校6年生で、受験シーズンだった。
お父さんの暴力をいっぱい見てきたお姉ちゃんは、
暴力の重さが分からんくなっとった。
受験のストレスをめいっぱいウチにブツけてきた。
酷い暴力をいっぱい受けた。
家族で1番小さくて無力なウチは、そのストレスのブツけどころがどこにもなくて…
いっつもママに当たってしまっていた。
自由帳の丸々一ページにでっかく、「ママなんか死んじゃえ」って書いた。
ママの悪口しかかけなかった。理由は簡単。
お姉ちゃんとか父の悪口書いてバレたら、後が怖いから。
でもウチは、ママが世界で一番大好きだった。
お姉ちゃんの受験結果を発表する日がやってきた。
女学院は補欠、安田は合格、といった結果だった。
安田に受かったお祝いに、家族皆でお祝いすることになった。
その日は、ママがウチのコップを落として壊しちゃった。
ウチは泣きながら、「ママなんか大っ嫌い!死んじゃえっ!!」って言った。
ママは「ごめんね」って言って、静かにコップの破片を拾った。
ウチは不機嫌なまま、タクシーに乗ってお姉ちゃんのお祝いをする中華料理店に向かった。
その頃にはもうお母さんは笑顔で、うちも笑顔で、
「かんぱーい」って言って、ビールを飲もうとした。
その時、ママは泡を吹いて、唸りながら自分の顔を机の上に押し付けた。
ウチとお姉ちゃん、おばあちゃんは大パニックで救急車を呼んだ。
ママは病院に運ばれた。
意識不明で、重体。
ママは病気だった。
病名は、脳梗塞。
ウチはママに死ねって言ったことを、酷く後悔した。
ママが看護婦の人にオムツを替えてもらってた。
オムツには排泄物がついてた。
うちはそれを「汚い」って思ってしまった。
ママに家族全員で手紙を書いた。
父はママが倒れたことで、本当に反省して、手紙を書いてた。
ウチ等は家族全員で書いた手紙を泣きながら読み上げた。
お母さんの心電図が、父の手紙を読んだ時、大きく動いた。
・続く・

12: のん 2008/04/09(水) 20:33:21 ID:SkVL7fe2
・続き・
もしかして、父の手紙に反応してる!?
ウチは悔しかった。
家族で一番ママを好きな自信があった。
父よりママを大切にしてる自信があった。
でも、これを読み続けたらもしかしたら…
ママが目を覚ましてくれるんじゃないかな?
そんな淡い期待を抱いて、何回も父の手紙を声に出し読み返した。
でも、ママの心電図は元に戻っちゃって…
それ以降動くことはなかった。
ママが意識不明の重体で、病院で寝込んでる。
なのにウチは、小学校に行かされた。
2日後、ウチが小学校に行ってるうちに、ママが死んじゃった。
病院にお見舞いに行く度にウチは涙を流してた。
なのに、ウチは泣けなかった。
皆泣いてた。父も泣いてた。
なのに、ウチだけ、泣けなかった。
ママが死んだことを、自分は悲しんでないのかな?
そんなことを考えちゃって、悲しくなった。
でも絶対に、涙は流れなかった。
骨を拾った。
ママの頭蓋骨の一部が、赤く染まってた。
これはママの血?ってきいたら、そうではないらしかった。
喉仏の紹介とかされた。
別にどーでも良かった。実感なんて、沸かなかった。
それが人の骨である、ということさえ、忘れていたかんじ。
通夜が終わって家に帰って自由帳を取り出した。
「ママなんか死んじゃえ」って言う文字を
「ママ、がんばって、生きぬいて」に変えてた。
もうママは死んじゃってるのに。
今更書き換えたって、ママが帰ってくるわけじゃないのにね。
無意識にした行動だった。
・続く・

13: のん 2008/04/09(水) 20:33:56 ID:SkVL7fe2
・続き・
ママが居ないことが悔しくて、両親が離婚してる男友達を馬鹿にした。
そしたら、「お前の母ちゃんなんて死んでるくせに」って言われた。
なのにウチは、笑ってた。
「お前バカだろ」って言ってた。
これも無意識だった。
今、うちは中学2年生。
絶対に「死ね」と「殺す」は言えんくなった。
絶対に、暴力だけはふるえんくなった。
今でもドアのノックが聞えると、
ふと「お母さん?」って思ってしまう。
解約したママの携帯番号に、電話をかける。
まだ繋がってる気がするから。
「ママ、死んじゃった」
簡単に言えるのに。
まだママが帰ってくるって、心のどこかで信じてる自分が居る。
きっとウチはまだ、
ママが死んだことを
認めきれずにいるんだと、思う…。
認めなきゃ、いけないね。
頭は分かってるんだけど
もしかしてって…
心がついていけないの。
もっと、大事にしてればよかった。
死ねなんて言わなければ良かった。
ママの笑顔、大好きです。
ママの笑顔、忘れられません。
のんは、ママが、世界で一番大好きです。
長文な上、乱文で、お目汚し失礼いたしました。
読んでくれて、ありがとうございました。
がんばって、認めたいと思います。
これに書いたことで、お母さんの死を、認められた気がします。
本当に、ありがとうございました。

15: のん 2008/04/10(木) 20:27:55 ID:FSgHebp6
お母さんの体は手術に耐えられない状況にあるって言われて、
手術もできんかったし。
結局女学院にお姉ちゃんが受かれたことも(補欠受かり)、
お母さんは知ることできんかった。
それがスゴク、今でも悔しいです…。
↑文章に入れてませんでした;;
感情のまま書き綴ったので、抜けてることに気付かず、
付け加えることになりました;;
すみません;;
本当に、ありがとうございました。

16: 癒されたい名無しさん 2008/04/11(金) 00:35:40 ID:T9msUUnT
本当に大切なモノは、失ってみて初めてそれに気付かされる…悲しいことだけれど、誰もがそうなんだよな…。

こちらこそ、良文を有難う。

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